体験談・レポートのご紹介
つの犬さん
1964.2.26 東京生まれ
ドラマーである叔父の影響と芸事の大好きな祖母の応援で14歳よりドラムを叩き始める。高校時代「府中ライトミュージックオーケストラ」というBigBandに在籍し、JAZZに出会う。卒業後、多くのミュージシャンと交流を深めライブハウスデビュー。
SOUL,REGGAE等黒人音楽、世界の民族音楽などの影響を受けつつも我流を押し通し、独自のリズムで演奏できるJAZZや即興音楽に取り組み、年平均200本以上の演奏を行っている。
つの犬こだわり図鑑⑱より
さあ、今月も僕のこだわりを一席。それはあるおじさんとの出会いから始まった。その夜の俺は、まだ少しなれないバンドを、慣れないライブ・ハウスで演奏した。サウンド・チェックなどに時間はかかったものの、そこそこ演奏には支障のない音で、出来も練習のときよりよかった。まあこんなもんでしょ、っとホッとしているところだった。
「もう最低!」突然鋭い電圧を感じさせる親父的ツッコミにひるむスキをついて、決壊したダムの如き攻撃が俺を襲った。
「いやー最低の音だったぞ! こんなのとてもじゃないが聴いてられないよ。店の外で聴いていたほうがまだ何やってるかわかるわい。その証拠にほら、見てみろ。お客さん全然感動してないだろ?ドラムの音なんかパタパタよ。ベースはなにやってんだかわかんないし。だいたいな、今時のお客さんは耳が肥えてんだ。テレビだってCDだってもっといい音してんだよ。素人の方が耳がいいんだ。カラオケだって、みんな音のいい所選ぶし、そっちの方が盛り上がるのを、自然としってんだよ。ドラムももっと普段みんなが聴いてるのに近い音出さなきゃダメ! ベースはいつも最低だな。なにがJBLだ。ヤマハもBOSEもエレボイもみんなくそくらえだ!」
初対面だが、ダムの決壊には土のうを積むしかない。反論その①これはライブなんだから、スタジオ録音のようにクリアにできなくて当然。その②毎日状況は違うのだ。最善は尽くしている。その③ライブの音の悪さをいうより、音楽の内容に耳を傾けてほしい。その④まったくかなわんなぁこのオヤジ。
しかしこのおじさんがいろんな感情を沸きあがらせるその刹那、彼の広い額から汗が流れ落ち、一途な思いが湯気となるのが目に映った。そうだ、うお座の俺は博愛的に聞き上手なのだ。
「そうですよねえ、音悪いと聴く気なくなるし、演奏だって余計な気を遣っちゃうし。音は大切ですよね。勉強しときまーす!」切り上げようとすると、「そうだろ? プロの奴らほど、現状に満足しちゃって、ひどい音を当たり前だと思ってんだ。でも悪い音じゃ集中できないし、演奏する方の実力だって発揮できないんだ。だいたい音響理論上、ステレオの原理そのままなら、喋った人、歌った人、その人の位置から音がはずだし、そうすりゃお客の目も自然とそっちに向かうんだよ。今のメーカーのは、全部がスピーカーから音がするから、お客は演奏者に集中できないんだ。」
面白いですね、おじさんもしかして・・・・・・・。
「そう、おじさんもう20ウン年スピーカー作ってるからな。黙ってらんなくなっちゃうんだよ。あれじゃあダメだ・・・・・。おじさんのスピーカー使ってみな。歌だって何だってクリアに聞こえるから。」
さすがにここまで言われると、俺も素人のような気になってきて、「ぜひ今度聞かせてください」というと、「よしきた。まず演奏してる人にいい気持ちになってもらわないとな!」と言って、数日後にはスピーカーを持ってきてくれた。いろんな用途で使ったけど、その素直でアコースティックで澄んだ音色は、他の機械や演奏の良し悪しまではっきり知覚させ、上から下まで音の分離がよく、おじさんの逞しさに似て耐久性に優れている。
P.A.の理想をいえば、演奏者が聴いている音と同じ音を、お客さまも聴いていることだ。アコースティックなら当たり前のことだが、ライブ・ハウス、ホールでその実感をもって演奏できることは滅多にない。P.A.もモニターも同じだが、スピーカーがクリアで素直なら、みんなの音が音楽に集中しやすくなるのも道理だろう。それが無理なら、自分だけでも・・・・・・・そんなわけで、僕のモニターは、おじさんの手づくりスピーカー、ELCY(エルシー)Co.のMODEL M-3となった。
横浜のエアジン、川崎のピアニシモでその音が聞けるよ。興味のある人は、エルシーのおじさんこと、石塚社長まで(TEL 0426-27-0271)
小馬崎達也さん
1961年1月31日東京生まれ。父はインドネシア人、母は日本人。
7才よりピアノと作曲を始め、83年東京芸術大学作曲家卒業。
クラシックの素養を生かしつつ、アジア各地や南米、アフリカ等の民族音楽やジャズのエッセンスを独自の視点で研究し取り入れたスタイルのピアノは他に例を見ない。
病院で120~130人の人々の前で演奏と舞踏で行いました。障害を持っている人、寿命の最後を待っている人、いろいろでした。普段手や足を動かしてリズムを取るという事が出来ない人が体を動かしていたと看護婦さんが言っていました。動かない体が生きた音を通して細胞を目覚めさせる力には驚きです。とても良い顔をして部屋に帰っていきました。
スペシャルスピーカーはピントが合っててとても気に入りました。電気的に増幅して出す音には多少あきらめていたのですが、奥深さがちゃんと出てくれるので驚きです。このスピーカーにはこれからいろいろ気づかせてもらうと思います。
ありがとうございました。
福島県会津若松市・学校法人こばと幼稚園・副園長・長谷川 朗先生
人間の耳で聞き取れる音域には、限りのあることは誰でも承知のとおりである。低い音、高い音、鈍い音、かん高い音など様々である。しかし、スピーカーの善し悪しが人間に与える影響については、どれだけの人がその重要性を認識しているかは疑問である。
私は、仕事柄(幼稚園の経営をしていることから)幼児たちと常に接しているが、まさに幼児は『偉大なる芸術家』であると思っている。「音」、特に音色の善し悪しを判断するには幼児が一番敏感であり、その影響は顕著に幼児たちの行動に現れるからである。
先日、と言っても昨年のクリスマスも近い日曜日、当幼稚園では毎年例年の行事である「クリスマス発表会」と題した、劇遊びやオペレッタの発表会を行っている。この発表会では、当幼稚園の30坪ほどの遊戯室で保護者を前に7クラス(200名程度)の子どもたちが、各クラスごと(25名~30名)に劇やオペレッタを披露するのであるが、今年からエルシー電機のスピーカーを使い、クリスマス発表会当日の一ヶ月前から、保育者と子どもたちどで劇やオペレッタを作り上げてた。数日前までは私自身時間的な余裕もなく、また良い音づくりの職人芸である石塚氏ともめぐり合う機会がなかったこともあり、古いスピーカー機器でこの発表会を行ってきた経過がある。
しかし、今回からはエルシー電機のスピーカーを使い、あらためて幼児が感じ取る音色の良さに対する感覚に驚かされた。過去数年までは練習から発表会当日まで、保育者が声を張り上げ、スピーカーとアンプのボリュームに神経を使ってもあまり練習の効果は期待できなかったように記憶している。要するにスピーカーから流れる練習曲や保育者の声が、ただ増幅されただけの濁った音として幼児たちの耳に伝わっていたのである。ただし、持ち前のファイトと愛情、そして子どもたちの主体性、自発的な行動を大切にする私のスタッフ(保育者)の熱意と子どもたちの努力で、当日の発表会をなんとか今まで成功させてくることができた。
ところが、今回は「何かが違う」のである。練習風景から発表会当日まで、自然に始まり自然に終わった感じであった。ある日の練習風景でも、保育者は声を張り上げることなく、スピーカーとアンプのボリュームもそれほど上げずに、すんなりとしかも綺麗に増幅された音色が、子どもたちを心地よく励ましてくれていた。ただ左右のスピーカーを交換しただけであり、しかも、エルシー電機のスピーカーは、サイズも決して大きなもの(H45cm×W27cm)ではなかった。スピーカーからでた音が幼児を包み込み、ソフトに心の中に響いたのであろう。左右のスピーカーからは確かに音が出ているのであるが、少し離れて聞くとその音がどこから出ているのか、大人でもわからないくらいの心地よさが感じられる。私は、音楽(音色)の良さの原点がここにあることをこの時ハッキリ感じた。
私自身オーディオへの憧れは人一倍もっており、またオーディオは趣味の一つである。ところが、上で述べたようなことがまだまだ理解されていたにことが残念である。ジャズやフュージョン、ロック、クラシックなど、どんなジャンルでもいい、また、何も超一流のスピーカーにこだわる必要もないのではないだろうか。少し話が脱線したが、石塚氏のスピーカーが私の宝物になったことは間違えのないことである。しかし、今回の「何かが違う」ということがわからまでには、私自身まだまだ修行が足りないと思っている。